銀座


 左の写真は1967年11月に銀座松坂屋角から四丁目方向を撮影したものである。銀座通の都電は1967年12月に廃止されているので、その1ヶ月前の写真である。40系統は銀座七丁目から神明町車庫の間を走っていた。1100型電車は昭和10年に登場した。
 服部時計店(和光)は今も昔も変わらぬ銀座の象徴である。この写真に写っていて現在も変わらないのは三愛、ワシントン靴店である。鳩居堂が改築高層化されたため、この位置から現在は三愛ビルを見ることはできない。
 銀座線の最終日、1967年12月9日、夕闇迫る銀座四丁目を行く装飾された5501。四丁目交差点のライオンもまだ低層の建物である。
 数寄屋橋にて9系統6000型。1968年8月撮影。遠くに朝日新聞社、日本劇場が見えるが、現在ではマリオンとなっている。
 右の写真は1968年8月に晴海通の銀座四丁目と数寄屋橋の中間地点で撮影した。天賞堂もまだ改築前の2階建である。9系統は廃止時は渋谷駅と新佃島の間を走っていた。
 晴海通を銀座四丁目を通り、築地を過ぎると月島への勝鬨橋を渡る。可動橋であるが、1970年以降、上がったことは無いそうだ。勝鬨橋を渡る9系統7500型電車。
 1968年8月撮影。

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Copyright Tanuchi, All Right Reserved  更新年月日 2005年1月28日