愛知、岐阜県下に鉄道路線網を持ち、高速鉄道からローカル線まで運行している。最近は中部新空港への新線を建設する一方、採算の取れないローカル線の廃止を進めている。
東枇杷島付近を走る5500系電車。パノラマカーの展望席より撮影。1970年8月 |
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中間運転台を持った7565。通常は中間車として使用さたが,珍しく6両で先頭に連結された編成。1967年8月知立にて偶然出会った。 |
道路と併用のころの犬山橋を渡る3730系小牧線直通電車。このころの普通車はクリームに赤帯の塗装であった。1973年9月撮影。 道路併用橋としては、他にも東急田園都市線二子橋があったが、1966年に鉄道が専用橋を新設した。犬山橋はその逆で、道路が新しい橋に移り併用橋は2000年に鉄道専用となった。2000年まで、高速電車が頻繁に走る道路併用橋が残っていたこと自体が不思議であった。犬山橋自体も大正14年竣工であるので、土木遺産的存在ともいえる。 |
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5500系2両編成、上飯田行の「明治村号」。 |
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犬山遊園にて3780型とモンキーパーク線のモノレール。このモノレールは1962年に日本初の跨座式モノレールとして開業、2008年に廃止された。 |
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犬山駅にて。 |
新名古屋−中日球場前(現在の山王)間を行く、3550型電車。1970年8月撮影。 | |
支線、乗入特急用として製作された7300系。車体はパノラマカー並みであったが、電装品は旧型車の流用でAL制御,吊り掛け式駆動であった。1972年3月、知立にて撮影。 | |
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知立に停車中の三河線経由、吉良吉田行きの3780型。碧南−吉良吉田間は閑散区間のためレールバス化された後、廃止された。1975年3月撮影。 |
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名古屋本線からの旧塗装3730型の三河線経由吉良吉田行き三河線特急。1967年8月。 |
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刈谷にて待機中のデキ400。三河線の貨物は刈谷で国鉄と授受をしていた。 |
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デキ400と600,刈谷にて. |
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高架前の刈谷市にて、3750型。 |
新岐阜駅にて、5000系と3400系。 この頃の名鉄は国鉄に対してサービスは優位であり、新岐阜からも各地へ向かう優等列車が頻繁に発着していた。現在では存続が危ぶまれるローカル線となってしまった蒲郡線は当時は観光路線であり,本線から多くの特急が直通していた。1972年3月撮影。 |
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金山橋にて |
旧名岐鉄道が愛知電気鉄道と合併して名古屋鉄道となって最初の新車の850型流線型電車。新車の頃は押切町−新岐阜間を快走した.1973年、金山橋にて撮影。 | |
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5200系の御嵩行の特急.現在廃止が囁かれている新可児-御嵩間へも名古屋から特急が乗り入れていた. |
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現在の金山付近を走る3780型他.金山総合駅の用地はすでに確保されていた. |
刈谷市−小垣江間にて、5500系の観光特急。この区間はすでに高架になっている。1972年撮影。 | |
神宮前にて、1973年3月撮影。当時神宮前にも国鉄との連絡線があり,貨物の授受も行われていた. | |
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西武鉄道550型として誕生、後に東濃鉄道へ譲渡されて110型となった。東濃鉄道駄知線が水害のため廃止になり、名鉄へ譲渡されて3790型となった。名鉄では築港線専用車として活躍した。1979年10月、東名古屋港において撮影。 |
東名古屋港にて、デキ300型。1973年4月撮影。築港線では名古屋臨港鉄道と接続し、車輌のやり取りがされている。この当時は貨物輸送も盛んであった。旅客列車は東名古屋港−大江間で朝夕のみ、近隣の工場勤務者の通勤用として現在も運転されている。 | |
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市電との平面交差があった東名古屋港を行く貨物列車 |
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貨物列車を取り扱うデキ300。1973年撮影。 |
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Copyright Tanuchi, All Right Reserved 更新年月日 2025年2月6日