京王帝都電鉄(京王電鉄)


 明大前にて5000系特急、1971年11月撮影。このころ、まだ20m車6000系登場前であり、特急には5000系が使用されていた。
 高幡不動にて2010系急行。1966年11月撮影。このころ5000系は優先的に特急に運用され、急行は主に5000系同様アイボリーに赤帯の塗装をされた2000系であった。多摩動物公園行きの急行の方向幕はライオンの絵柄であった。新宿から来た列車は高幡不動でスイッチバックして、多摩動物公園へ向かっていた。多摩動物公園駅の前に動物園の正門,またバス連絡で多摩テックの最寄り駅でもあった.
 高幡不動における220型、1968年11月撮影。動物園線内の折り返し運転用に旧式の14m小型車220型がアイボリー塗装で使用されていた。
 昔はどこの私鉄でも手荷物・小荷物輸送を行っていた。京王線にもデ二200型が活躍していた。
 手荷物・小荷物輸送は宅配便におされて1986年に廃止された。しかし旅客機でも貨物コンテナを搭載するので、新サービス開発の余地はあるのではないか。
 
 京王八王子へ進入する5000系特急。1968年1月撮影。この頃の京王八王子駅は地上にあった。
 調布駅へ進入する800系準特急新宿行、2012年3月撮影。調布駅は狭い構内の中で相模原線が平面分岐していたが、2012年8月に地下化された。
 1967年4月、井之頭線の久我山にて撮影、3000系。このころは私鉄の小駅では構内踏切があった。現在は過密ダイヤのため、地下道、高架あるいは橋上駅となってしまった。
 1967年頃の久我山駅。売店の壁面は多摩動物講演の広告であった.
 1968年2月、井之頭線の富士見ヶ丘−久我山間にて撮影。1900型。
 1968年2月、富士見ヶ丘検車区にて3000系。このころは全ての3000系の車両が外側にディスクブレーキが付いたパイオニア型台車を履いていた。
 1800型、1967年渋谷にて撮影。ラッシュ時は渋谷−永福町の区間運転が行われていた。
 井の頭線で急行運転が始まったのは1971年であった。永福町の車庫が完全に富士見ヶ丘へ移転して構内が整備され、追い越し設備ができた。そのころの3000系急行電車、久我山にて。ロールオーバーすると2003年。
 改良工事前の永福町駅。島式のホームが一つのみであり、検車区もあった。永福町折り返しの区間運転の1800型。1967年撮影
 1971年12月15日、永福町駅改良工事後は追い越しも可能となり、急行運転が開始された。

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Copyright Tanuchi, All Right Reserved  更新年月日 2016年2月14日