阪鶴鉄道の宣伝チラシあるいはポスターである。チラシにしてはサイズが400×555mmと大きすぎ、ポスターにしては小さな文字が多過ぎる印刷物である。内容は新舞鶴(現東舞鶴)まで官設舞鶴線が開通し、阪鶴鐵道による阪神地区から舞鶴までの直通列車運転の宣伝である。旅客案内もあるが、印刷の図からもわかるように貨物輸送の宣伝が主である。また舞鶴から境、浦塩斯徳、福井、金澤、七尾、伏木、函館、小樽への航路との連絡も紹介されている。
調べると明治37年に官設舞鶴線の福知山−新舞鶴間が開通して、阪鶴鉄道による大阪−舞鶴間の輸送が始まっている。しかし明治39年に32社を買収する鉄道国有化法が制定され、阪鶴鉄道は明治40年に国有化されている。また境との海路が開始されたのは明治38年なので、この印刷物は明治37-39年頃のものと思われる。紙質が良いためか、無造作に放置されたにもかかわらす傷みも少ない状態である。
阪鶴鉄道は国有化後に福知山線と線名を変更している。
この印刷物の中央に書かれている文章の一部である。
今般官設舞鶴線落成シテ大阪舞鶴間一貫ノ線路相開ケ此間ノ距離九十二哩僅々五時間ニテ旅行シ得ルコトニ相成候ニ付當荷扱所ハ此際益々輸送ノ正確ト迅速トヲ主トシ日本海沿岸諸港(敦賀以東津居山以西)−大阪兵庫ノ間に發着スル海陸連絡貨物ニ對シ特ニ御便宜ヲ計リ左記ノ割引運賃ニテ御取扱可仕候間倍舊御眷顧被成下度此段切望ノ至リニ御座候
明治三十七年十一月
大阪梅田驛構内 阪鶴鐵道大阪荷扱所(電話東一,〇九四番)
大阪西横堀相生橋 阪鶴鐵道大阪荷扱所(電話西二,八九九番 西二,二二八番)
京都七條驛前 阪鶴鐵道京都荷扱所(電話七五七番)
舞鶴竹屋町 阪鶴鐵道舞鶴荷扱所
宮津本町 阪鶴鐵道宮津荷扱所
米穀,雑穀,肥料 百石ニ付 金貳拾圓
雑貨 十貫ニ付 金拾貳錢
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Copyright Tanuch, All Right Reserved 更新年月日 2023年1月4日