中央東線


 中央本線の新宿―塩尻間は便宜的に中央東線と呼ばれ、東京と松本や大糸線沿線を結んでいる。古くから積極的に急行用気動車が投入され、電化も進められ、165系急行電車や181系、E351系そして現在はE353系スーパーあずさが走っている。しかし大糸線、飯田線、小海線等の支線への直通列車は新幹線や高速バスの競争により減少または廃止となった。

 荻窪を通過し、新宿へ向かう165系急行。ヘッドマークはついていないので、おそらく「かいじ」号であろう。右手に中央快速、総武・中央緩行の103系,101系が見える。
 1973年3月撮影。
 この頃、各駅停車にも旧型客車に代って新製の115系が投入された。現在は特急のみ新宿へ乗り入れているが,この当時は各駅停車もかなりの本数が新宿発着であった.
 荻窪駅を通過する下り165系急行アルプス号
 1973年の新宿駅。旧1-2番線は長距離列車専用ホームになっなっていた。58-65系の気動車急行が止まっている。気動車急行は編成の自由度を生かして、大糸線、飯田線、小海線、富士急行線直通の車両が併結されていた。
 中央線の特別快速は冷房付きの103系が101系に加えて投入されたころである。
 1973年、このころは総武線の東京地下駅も、京葉線も完成前。房総方面の急行は両国発着、または中央線へ新宿まで乗り入れて来た。新宿駅の58系気動車急行、犬吠。
 国鉄は通勤型車輌の冷房化については私鉄に遅れをとった。そのため急遽、冷房改造した101系を中央線特別快速へ投入した。
 新宿を出発する普通電車。1973年撮影。まだ埼京線どころか武蔵野線も完成していなかった。当時は、中央線のかなりの普通電車が新宿駅から発着していた。後方、右側には二幸があるが、現在は改築されてALTAになっている。
飯田橋を通過する101系快速電車。1974年撮影。飯田町には貨物駅、客車区もあり活気があったころである。現在は急カーブにあった緩行線のホームは新宿方へ移設させている。
飯田橋を通過する総武線用165系急行電車の回送。現在、JR貨物本社ビルやホテルエドモンドがある地区は大昔は甲武鉄道飯田町のターミナル、のちの飯田町貨物駅であった。この写真の右に移っているが、飯田橋近くには相模鉄道の砂利ホッパーがあり、いつも無蓋貨車が止まっていた。また隣接する飯田町客車区には中央線用の旧型客車が止まっていた。1972年5月撮影。
1974年、新宿駅の旧型電機機関車、EF13。戦時型の機関車であったが、EF58の旧車体を譲渡された。当時の新宿駅は埼京線も無く、武蔵野線も開通前、山手線には多くの貨物列車が走っており、その多くはEF10、11、13、15などの旧型機関車牽引であった。。
 クモユニ84、クモニ83を新宿寄りに併結した115系普通電車。普通列車も電車化され、荷物電車や郵便電車が小荷物や郵便輸送に使われていた。1967年、荻窪にて撮影。下り電車なのになぜか方向幕が新宿になっている。
 現在の快速線が高架となった西荻窪を通過する101系のワッペン列車「御岳もみじ号」、1967年10月撮影。ワッペン列車とは、その乗客にワッペンを配布し、それを見せると観光地の施設の入場料や店が割引となる国鉄の観光客誘致の臨時列車であった。現在のホリデー快速に相当する。旧線を高架化して緩行線となるが、工事中で完成前である。
 津田沼電車区所属の全金属製クハ79-920番台。つりかけ駆動の旧型73系ではあったが、101系につながる食パン形の外形デザインであった。1967年、荻窪にて撮影。
 複々線が荻窪まで完成し、営団地下鉄東西線大手町まで相互直通運転されるようになった。東西線乗り入れ国鉄車輌としてアルミ車体の301系が製作された。1967年荻窪にて撮影。
 三鷹を通過して松本へ向かうE351系スーパーあずさ。2011年撮影。
 E257系八王子にて、2015年6月撮影。E257系は中央線から引退し、更新された車輌は踊り子号等として活躍している。
 高架複々線工事が進む荻窪−西荻窪間を行くクモニ13.1966年撮影.
 荻窪駅にて折り返す中央・総武緩行線の73系、行先サボの交換風景。1966年撮影。このころの中央線は荻窪まで複々線が完成しており、緩行線の総武線、地下鉄東西線直通電車は荻窪で折り返していた。緩行線には津田沼電車区所属の73系旧型電車もまだ走っていた。
 1966年撮影。当時は朝の上り快速電車の東京寄り1両が婦人子供専用車となっていた。101系電車の窓には表示板がかけられていた。この婦人子供専用車は1973年9月に廃止された。最近では痴漢対策で「女性専用車」がJRや多くの私鉄でできている。

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Copyright Tanuchi, All Rights Reserved  更新年月日 2024年8月28日